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Copyright © 2009-2015 Miyashita Tomoyoshi All rights reserved.

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長い間、間違っていた。のかもしれない。

博物館、美術館などでレプリカと、原物を見比べる機会はあるけど、
たいていほとんど原物のほうが印象に残るのは何だろうと、
最近改めて考えてみた。
 大切に使い込まれ、燃えず、壊れず、時代を生き残ったものの強さが、そこに宿っているのはもちろん感じるけれど、それ以外の力の差は何だろうと。
 
器を自分が作るとき、
前にいい器を作って好評でも、それに倣うことはいつも避けようとしていた。
(同じ形を倣うこと)が機械的でつまらないと感じていたから。
また、(同じ形を倣うこと)は、 機械的でつまらないものだろうと、
鼻っから思い込んでいたからだ。
 では同じではない器を作ろうと、図面は引かず、型も取らずやってきたが、
なんだかそれでも以前よりも器は硬く感じるし、機械的に作ろうとしていないつもりでも
なんだか機械的だと感じることが多くなっていた。

 原物とレプリカを見比べる機会があって、何度か見比べてアッと思った。
 レプリカは原物よりも上手かった。無駄が少なかった。上手くて美しくて、だから心に引っかからなかった。
原物は迷いと、不安と、感動が見えた。無駄や困惑の線がたくさんあった。そのモチーフを選んで図案化した感動や、そのモチーフが生活の風景の中に存在していた空気が感じられた。
それが心に引っかかり深く印象に残った。

 レプリカというのは、そのものと同じ形で同じ技法のものを作るということではあるけど、作り手の意識で、必ずそれよりもいいものを、うまく作ってやろうという作り手の欲が生まれるのが当たり前で。
そして完成品が目の前に既にあるという欠点があるのではないか。

 完成のイメージを持たないとものは作れないと教育されていたけれど、違うのでは?と思い始めた。
 なぜなら、完成形が見えていると、そこに行きつくまでのやり直しや、困惑や、迷いや、失敗など少ない。
見えていないと、時間はかかるけれどそこに行くまでの時間は長く無駄も多い。
 無駄が多いことで、たとえ同じに見える一本の線でも深く人の心を引き付ける魅力になるのではないかと思い始めた。
 自分の考えている「いいもの」を作るためには、完成の形のイメージなんて完璧にできてはいけないのかもしれない。

 
同じものを作らないと意識することは、
同じではないものを作ろうという意識で作るということだから、
形を倣わないように意識してしまうというのは、
かえって形にとらわれているだけなのではないか?
それは表現の選択の幅が決まって狭くしていることなのではないか?
 
だったら意識して同じ形を倣い。
もしくはすべてを忘れることに力を注ぐ。

こうやって、いろいろ難しく考えて、
単純にワクワクするものを伝えたい。
   
 

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すみや 角田和彦さん、角田真秀さんのこと

料理家の角田真秀さん連載のウェブマガジン
暮らし上手「暮らし上手のおうちごはん」で二段のお弁当箱をお使いいただいています。

 また、ただま発売中の書籍「暮らし上手archive毎日役立つお弁当便利帖」(枻出版社)の中でもお弁当箱をお使いいただいています。

  さらに、「基本調味料だけで作る毎日の献立とおかず」(マイナビBOOKS)の中でもお椀などお使いただいています。
ちらしずしが盛られた御重もおいしそうです。


 すみやの角田夫妻とのご縁は、僕の初めての個展からで、10年前までさかのぼります。
大学院生のころ、右も左もわからずに、とりあえずやってみよう!の様な展示をした時。
会期中に3回も来ていただきました。
 技術的な仕事のきれいさも、器としての重さとか形も、今よりはるかに下手な仕事だったけれど、その時に作った二段の弁当箱を、ずっと使い続けていただいています。

 弁当箱をはじめ、僕の作る器は、形としての定番を決めて作ることはありません。
形そっくりに倣い作ることが、自分に合わないというのが一番の理由で、倣うと制作途中で単調な作業になってしまうからです。数を追うことが身体に合わないのです。
 弁当箱でも、その制作ごとに改良させ、良くする意識でいます。
 
 角田さんにとって二段の弁当箱は、今作っているものよりも、初めて作った弁当箱の方を大切に思っていただいています。
 当時の僕のつたない仕事を、料理のプロの視線から評価いただいているのは、すごくうれしくもあり、安心できるものでもあり、また制作する上でいつも考えさせられます。

 初めての展示は、机の位置から、器の配置、天気、空間の流れ、ギャラリー脇の木香バラと春の匂い、漆でワクワクした感じ、そこで初めてお会いした方々、交わした会話、を今でも鮮明に覚えています。
 あのすごくワクワクした感じには、当時より上手くなったはずの今でも、行くことができていません。言葉で表現することもできないのですが、そのワクワクする感じが大事なのです。

 角田さんは器の使い手の目で、いつも大事なことを伝えてくれます。

 上手さが光る器での食事は、普段の楽しい食事とはかけ離れた場所にあります。
上手さを追うことはしていないつもりでも、続けると技術は上手くなります。
 どんなに上手くなってもワクワクできるような器はきっと作れると信じています。
 
 

上手くなるってなんだろう

作り続けていると、
技術は前よりも少しは上達してくるのがわかるのだけれど、
時々、その上手く作れてしまったものが、とてもつまらなく感じる。
ならば上手く片付けないようにと、下手さを装ってみると、
いやなものにも感じる。

作り手の顔が見えているものは好きだけれど、
作り手の跡が見えることがかえって気持ちが悪く感じることもあるし、
作り手の跡を残さない仕事が気持ち良いと感じることもある。

上手くなると要領が良くなる。これは大事なことなんだけれど、
要領の良さだけで作るものはつまらなく感じてしまう。
おかげで考えさせられて時々手が止まる。

でもこんなことは、もっともっと上手くなってから言えることで、
下手くその自分が言うことではないのも知ってる。
見失わないように続けたい。 
 
器のゆく先は、食卓の上だ。
その食事が少しでも楽しさを増すものであるように、
使うと少しでもわくわくできるような、気持ちがしゃんとするような、
そんな気持ちの良い器が作りたいと思っている。
福島三春のin-kyoさんでの展示を終え、
 大切なことの再確認をしている。

展示にお出かけいただき、どうもありがとうございました。
お店でたくさんの方とお話ができ、いい時間を過ごさせていただきました。

  
  
  
  
   

原点

 大学の卒業制作のテーマは、ごはんのおいしい飯椀と汁椀でした。
あの時は、何を作ればよいのか、表現すればよいのかなど、
結構考えすぎてストイックにお椀の形を作りました。
 ごはんがおいしいと思える、飯椀と、汁椀があったら
それで充分なんじゃないか、きっと食卓は幸せなんだろうと。

 あれから10年経ちましたが、未だにお椀を作ることは
考えること、感じることが多く、難しく楽しい時間です。
 ごはんの味。味噌汁の味は、これからも劇的に変わることはないのだろうと思います。
 どんなに世の中の環境が変わっても、都市でも田舎でも。
お椀の形も劇的な変化はないはずですが、
それでも古く感じる器、使いたいと思う器があるというのは、
進化しているものかもしれません。
ごはんがもっとおいしくなる飯椀と汁椀を目標に
これからも作り続けるのだと思います。
 一生使い続けたいもの作れるように。というのが目標です。

器が、誰かにとって、ふっと安心できるものであれば。
一つの器が、家族にとって温度を感じるものであることを望みます。

10年経っても作りたいものが変わらないっていうことは、単純に好きだってことなんですね。

かぞくのうつわ 個展  開催中~11月29日 nara          大阪中央区上町
家族の漆    個展    12月3日~8日 inkyo    東京台東区駒形
宮下智吉漆の器 個展            12月9日~23日 松屋銀座7階ババグーリ   東京中央区銀座

弁当箱

初めの個展からずっと作り続けているもので
弁当箱がある
作る度に改良をしている
満足いくものができたら作ることが飽きるのかなと思っていたけれど
未だに気がつくことがあって満足いかないのが面白い
一つ作り終えると こうすればもっと良くなるんじゃないか
こんなものがあったらいいのではないかというのが
どんどん出てくるので
今まで作りたいものには困ったことがないのは
木地から作ることができる良さなのかもしれない




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